森脇幽香里の柳歴及び略歴のご紹介


柳歴、略歴
森脇 幽香里(もりわき ゆかり)(本名/馬場文代)
明治41年2月20日生まれ
広島県広島市十日市町出身
広島県立広島高等女学校卒業(大正13年)
現住所 広島市西区己斐本町
著書 「きのこ雲」、「森脇幽香里川柳百句集」、「あめりか川柳」、「捧げる」、「川柳入門書」、「続・あめりか川柳」

・昭和2年、川柳は人間の姿や思いを詠むにはもってこいの文芸であると思うようになり、この川柳を自分なりの理念に基づいて、句品を大切にし、人を見下げず、女性を軽視しない、文芸として恥ずかしくないものにしようと思いをかため、この年から始める。19才
・昭和3年、森脇幽香里と号し、父の主宰していた郡山番傘川柳会の句会に初出席。以来「番傘」の読者となり、のち雑吟への投句を始め、岸本水府師の指導を受ける。
・昭和17年、呉新聞「柳壇」の選者となり、有志とともに広島番傘読者会をつくる。
・昭和19年、中国新聞「決戦川柳」の選者となり、自作も紙上に連載する。
・昭和21年、番傘川柳社主幹岸本水府師を広島に迎え、父美禰坊とともに広島番傘川柳会の創立に寄与し、同会幹事となる。同年秋、岸本水府師により番傘川柳社同人に推され、昭和22年4月発行の「番傘」の同人名鑑に掲載される。
・昭和25年7月父美禰坊の希望に従い、父の跡を継ぎ、広島川柳会を新たに組織して、再興し、父にならって会長にならず、会の世話一切を引き受け、月例句会を再開する。
・昭和25年、「川柳ひろしま」を創刊して、主宰する。(当時は広島川柳会会報と称したが、昭和26年1月号より父に題字をもらって「川柳ひろしま」と改称)
・昭和25年、広島番傘川柳会を再興し、会長をおかず、会の世話一切を引き受け、月例句会を開始し、その全作品を「川柳ひろしま」に掲載する。
・昭和36年、法務省広島矯正管区長より篤志面接委員を委嘱され、広島刑務所で受刑者に対し川柳を通しての教育を始める。同じ頃貴船少女苑においても川柳を通しての教育をおこなう。
・昭和42年、スイスに渡航し、チューリッヒに居住、日瑞親善につとめる。
・昭和50年、オーストラリアに渡航し、シドニーに居住、日豪親善につとめる。
・昭和56年、広島市己斐公民館で女性川柳教室の指導を始める。広島女性川柳会を創設、翌年「川柳花びら抄」を創刊。
・昭和57年、渡米。ロサンゼルスに居住。日米親善につとめる。
・昭和59年、アメリカ合衆国高齢者ボランティアプログラム(RSVP)から高齢者としてのボランティア活動(福祉施設での川柳指導)について表彰される。
・昭和61年、シアトルの北米川柳吟社から川柳の指導奉仕に対して感謝状を受ける。現在も「北米川柳」雑詠についての「鑑賞席」の寄稿を継続中。
・昭和61年、帰広、広島女性川柳会の指導を再び始める。
・昭和62年、広島市長から、永年にわたる川柳指導活動による文化振興の功績に対して(文化功労者として)表彰を受ける。
・昭和62年、「銀山川柳会」の創立と「川柳ぎんやま」の創刊を指導。
・昭和63年2月、満80才を記念して、広島柳会の多数の有志の方々により、広島県湯来町に句碑「涅槃までわき見道草して歩き」を建立していただく。
・昭和63年、「気楽川柳会」の創立と「川柳きらく」の創刊を指導する。
・平成4年、「そらじょう川柳会」の創立と「川柳そらじょう」の創刊を指導。
・平成5年、「初心者のための川柳教室」での生徒の作品をまとめた「月刊川柳ふた葉」を創刊。
・平成6年、「せせらぎ川柳会」の創立と「川柳せせらぎ」の創刊を指導。
・平成8年〜、広島女性川柳会、ぎんやま川柳会、きらく川柳会、そらじょう川柳会、せせらぎ川柳会、全電通退職者川柳同好会、中国新聞キャリアカレッジの初心者のための川柳教室の指導をし、各川柳会発行の月刊誌の選評をし、各紙の巻頭言を執筆するとともに、「北米川柳」誌に毎月鑑賞席の寄稿を続ける。

・平成15年2月11日午後12時30分 かねて病気療養中でしたが、94歳をもって永眠されました。
 合掌


森脇幽香里、句碑



涅槃まで わき見道草 して歩き


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